ありがとうございます。さようなら。
こんにちは、奧川悦弘です。
昨日、私の友人が亡くなりました。
その友人は、
話し好きで、人の世話をすることが好きで、
仕事に誠実で厳しい人でした。
∴奇妙な縁
私が以前務めていた会社の社長でした。
干支は同じ卯年、一回り違いで、誕生日は1日違いです。
世の中には、そのような人がいると思いますが、
そのような人を巡り会えたことに、
不思議な縁を感じました。
∴エピソードの1つ
私が30代の時、
2人目の子どもが家内のお腹にいて、もうすぐに生まれようとしていたある夜、
お腹の中で動かなくなって、すぐに病院にいきましたが、亡くなっていました。
家内も危険な状態でした。
生まれる期待から、地獄に突き落とされたような悲しみの中、
社長は、優しい目で私に、
「悲しいけど悲しんでいる場合ではない、奥さんの方がもっと辛いよ」
と声をかけてくれました。
周りからかけられる慰めの言葉の中、
その社長の言葉は、厳しい言葉でしたが、その言葉のおかげで、
「ハッと」自分の感情を客観的に見ることができ、何をすべきかを気づかせてくれました。
そして、生死の受け止め方について、どう考え、どう行動すべきか教えてくれました。
∴気を遣わせない人
会社では、厳しい人でした。
あいさつや髪型など、身だしなみにも厳しかったです。
しかし、仕事から離れ、食事などに一緒に行くと、
全く気を遣わせない人でした。
一緒にいて、無条件でリラックスできました。
そして、それを自然にできる人でした。
すごいなあと思いました。
∴上司から友人へ
会社で一緒に仕事している時は、上司部下の関係で、会社経営の参考になればと、
毎日、その日のニュース等を1枚のペーパーにまとめて、社長に早朝レポートを提出しました。
その後、グループ会社への配置転換があったり、
私の独立開業で、直接一緒に仕事をしなくなってからも、
早朝レポートの習慣から、私は、毎朝、メールで連絡をしていました。
いつも返事を返してくれました。
また、月に1回は、会って、いろいろな話しをしました。
そんなある時、
「こんなに長く付き合っているのは、友だちと思っているんだろうな」
と言ってくれました。
私は、”社長と友だちなんだ”とうれしく思いました。
∴いつも後押し
私が、独立開業したとき、
お祝いをしてくれました。
私が、三重県に引っ越したとき、
お祝いをしてくれました。
私が、人生の岐路に立ったとき、
いつも、会って、信じ、後押しをしてくれました。
一歩を踏み出させてくれました。
∴言葉よりぬくもり、そして、家族の大切さ
友人が体調を壊し、
会えなくなりました。
大きな病院に入院し、手術を受けました。
手術後は、痛みが取れず、苦しい日々を過ごされました。
友人からメールで
「文章を読むのも辛い、いい言葉も今の私には響かない」
また、電話で、これが私が友人と話した最後の電話でした、
「どんなことがあっても、家族だけはあたたかく、守ってくれる。
一緒に暮らして、家族になっていくだと思う。
そんな家族を大切にして下さい」
とメッセージをくれました。
∴農作業
友人が息を引き取ったとき、
私は農作業をしていました。
友人は、
「今年の目標は、自分で運転して、三重県の奧川君の農園に行くこと、そこで遅い誕生会をしよう」
と言ってくれていました。
それは、もう叶わなくなりましたが、
いつ来てもらってもいいように、これからも農園の野菜たちを大切に育てていきたいと思います。
∴教えてくれたこと
それから、
こんなこともおっしゃっていました。
「アホなことができる人が、本当の賢い人」
自分のやりたいことを、どんなに格好が悪くてもコツコツと貫くこと。
それを、友人が、身をもって教えてくれました。
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