子どもらしさ~涼しい顔

こんにちは、三重県名張市の個別指導塾 学びスタジオ奥川悦弘です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

今回から3回に分けて、子どもらしさについて書きたいと思います。

∴涼しい顔、今に生きる真剣

倉橋惣三先生は、
日本のフレーベルとも呼ばれ、
フラベールが言う、
「あくまでも子どもが自主的な遊びを通して自然のしくみを理解したり、
発見したり、想像力を養ったりするための遊び中心の教育」
を日本の保育でも行うことを主張しました。

その倉橋惣三先生の言葉を引用させていただきます。

「涼しい顔
幼児たちの顔、
何という涼しさだろう。

此の日中を駆け歩き飛び回り、
遊びつづけていながら、
何という涼しさだろう。
焦らない心は涼しい。
もだえない心は涼しい。

鬱積せる愚痴、
追いまわす欲念、
密閉せる我執、
塗りあげる虚飾。
思っただけでも蒸し暑いが、
それが幼児にない。

忘れた我。
事に即し今に生きる真剣。
熱風裡に居て熱を知らず、
汗にぬれて汗を知らぬ幼児の顔。
今鳴いている一匹の蝉をねらって、
万象無に帰せる幼児の顔。

悟道の極ではないが、
何という心の涼しさだ。
それにしても、
なんと暑くるしい我等の顔。」

夏、蒸し暑さを愚痴り、
外に出ることもためらいがちな大人とは異なり、
蒸し暑さをものともせず、
関心を持つ物事に没入している姿を「涼しい顔」と表現している。

季節が冬に変われば、
"子どもは風の子、おとなは火の子。"

そのバイタリティ、
大人とは異なる子どもらしい姿。

さらに、
物事に没入すると言っても、
飛び回るなど身体を思い切り動かす動的な姿だけではなく、
蝉取りに没頭する、
静的に集中する姿。

こうした姿を、
「今に生きる真剣」と表現しています。

このように、
子どもらしさは、
未来の自分を見通せる分、
時に現在を計算高く生きがちな大人とは異なり、
子どもを瞬間々々を真剣に生きる存在だ
と言っています。

∴飛びついた子ども

また、
次のようにも描いている。

「子どもが飛びついて来た。
あっと思う間にもう何処かへ駆けて行ってしまった。

その子の親しみを気のついた時には、
もう向こうを向いている。

私は果たしてあの飛びついて来た瞬間の心を、
その時ぴったりと受けて やったであろうか。
それに相当する親しみで応じてやったろうか。

後でやっと気がついて、
のこのこ出かけて行って、
先刻はといったところで、
活きた時機は逸し去っている。

埋めあわせのつもりで、
親しさを押しつけてゆくと、
しつこいといったようの顔をして逃げていったりする。

其の時にあらずんば、
うるさいに相違ない。

時は、
さっきのあの時であったのである。
いつ飛びついて来るか分からない子どもたちである。」

"子どもとは落ち着かないものだ”
"子どもは気分屋”
これは、
いずれも子どもの姿を否定的に捉えています。

しかし、
こうした姿こそ、子どもらしさです。

興味・関心も状況により、
様々に変化するため、
考えるよりも前に身体が動き、
同時に何かを感じ、
考えています。

そのため、
大人にとっては行動予測が難しく「いつ飛びついて来るか分からない」のです。

動くことと、 
感じること、
考えること、
そしてわかることなどの行為が
分けがたく展開するのも子どもらしさですね。

この子どもの"子どもらしさ"を、
しっかりと受け止めてあげたいですね。

∴まとめ。子どもらしさ~涼しい顔

子どもは、今を真剣に生きる存在です。
興味・関心が状況により様々に変化し、
考えるよりも前に身体が動き、
同時に何かを感じ、
そして、考えています。

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